美術界隈では「地と図」という概念があります。「地」は背景を指し、「図」は図像を指します。「ルビンの壺」がわかりやすい例です。Fig.1はルビンの壺を、石膏像を利用して作った画像です。見方によって、図が2人の人物の横顔になったり壺になったりします。
この地と図の見方はデッサンをする上でたいへん重要です。なぜなら、この見方は形を的確に捉えるのに向いているからです。
「デッサンで形を合わせるのが苦手」という人は、この見方をしていないのかもしれません。そうであれば、この地と図の見方を身につけるだけで形を合わせる力が向上するでしょう。
私たちの目はカメラではない
多くの場合、日常と同じ見方でモチーフを見てデッサンすると形は歪んで知覚されます。これはヒトの認知のメカニズムが関係しています。
私たちの視覚はカメラとは違います。ある人物の証明写真と生の顔では印象が大きく異なることはよくありますが、これはヒトの視覚とカメラでは世界の写し取り方が異なるからです。さらに、個々人の記憶、経験、価値観も私たちのものの見方に影響を与えています。
カメラのように全てを写さずに、経験的に必要だと思うものをよく見てそうでないものをほとんど見ない。これが私たちの目なのです。
日常的な見方では、見ようと思ったものだけを見る
私たちは視界に入ったものの中から重要な情報を選び、それに注意を向け、注意を向けた対象を直観的に理解するため、分かりやすくするために脚色すらします。
例えば、車の運転時に信号を確認するときは、信号機のランプの色に注意を向けると思います。信号機本体の色や、信号機の構造を注視するようなことはほとんどないでしょう。ドライバーは運転に必要がない情報を無意識で排除し、効率や安全を確保します。
私たちはこのような情報の選択を常に行っており、日常という場面ではこれ以上ないほど有益です。
ですが、この日常的な見方をそのままデッサンに適用するべきではありません。デッサンでは普段観察しないようなところまで観察しなくてはいけないからです。
顔を描くとき、日常的な見方を適用してしまうと、顔面の面積に対して目、鼻、口を大きく描いてしまいます。それとは逆に、目と目の間、頬、など、普段は意識して見ない部分を小さく
扱ってしまします。
また、手の描写であれば、爪を大きく描き、爪の生え際と指の輪郭の間は小さくなります。体であれば、骨盤と肋骨の距離は実際のモデルより狭くなりがちです。
デッサンするときの見方
デッサンをする際はこのような傾向を知り、そうならないように意識を向けます。そしてそれができれば、形を合わせるのは比較的簡単になります。
日常的な見方を意識的に回避するための工夫はとても単純です。うっかり注意を向けてしまうものとは違うところを意図的に見るようにします。
先ほどの顔の例なら、無意識に見てしまう目、鼻、口にあまり注意を注がずに、小さく描きがちな目と目の間、まぶた、頬などの形を見ます。そうすれば、少なくともそれらの部分が実際のモデルのものより小さくなったり狭くなったりすることを回避できます。
目や鼻をえこひいきせずに、その隙間にあるものも平等に観察する姿勢が大切です。これができるようになるにはそれなりの訓練が必要ですが、慣れれば誰でもできるようになります。
冒頭で述べた「ルビンの壺」の例は、こうした技術を分かりやすく示しています。
「ルビンの壺」で見える人の横顔と壺のシルエット。この見方の切り替えをデッサンにも積極的に取り入れることで、形を合わせやすくなります。
壺の形が的確なら、人の横顔も結果的に的確になります。横顔の形はあっているけれど壺の形がおかしい、という時は、横顔の形も実はおかしいのです。壺の形と人の横顔、両方の形を合わせることで、形の狂いを見つけやすくなります。
ちなみに、人の顔を適切に描写するよりも、ただ幾何学的にくびれたりしているだけの壺の方が形は合わせやすくなります。そのような形は、目や鼻のように無意識にひいきして観察してしまう要素が少ないからです。
具体的な練習を以下のテキストで紹介していますので、繰り返し行い、これが自然にできるようになってください。
参考と脚注
B・エドワーズ『内なる画家の眼』エルテ出版、1988年