デッサンのコツはデッサン的な見方をすること

デッサンをする時には、日常的に物を見るのとは違った見方で世界を見る必要があります。

なぜなら、基本的にデッサンは平面に描くという制約があるので、どこまでも広がる3次元の世界をそっくり持ってくることができないからです。そのため、3次元と2次元の前提、条件の違いについて知っておく必要があります。

世界の境界

まず、日常的な見方には境界というものがありません。例えば、私たちの日常的な感覚では世界が途中で途切れることがなく、見えていない頭の後ろにも世界があるのを感じます。

それに比べて、デッサン的な見方は大前提として境界線、世界の端っこが存在します。これは画面で言えば四角い外枠です。構図という概念はこの世界の境界線、端っこの存在によって生まれてきます。

描き出す世界の境界をどこにするか? これは世界の境界線、端っこが存在するデッサンに必ずつきまとう要素です。

また、実際に目に写る世界は、視界に写っている範囲(視野)の端が境界となり、その境界に近づくほどピントがボケて見えます。これは境界線である外枠までしっかり描写するデッサンとは異なる点です。

上とはどの方向か

次に、両者の上方向についての違いです。日常的な感覚で言えば、「上」は重力と反対の方向を指します。例えば、普通に立っていれば頭の方が上ですが、仰向けで寝ている場合は顔が正面を向いている方が上になります。座っている時に立ち上がる場合は、重力に逆らう方向が「上」になります。

対して、デッサンで「上」とは、画面を囲むの4つの辺のうち、天に近い辺を上と考えます。つまり、単に画面で上と決めた方が上になります。画面を180°ひっくり返したなら、「上」だった方向が今度は「下」になります。

この「上」の違いは水平線にも影響します。日常的な見方では、水平線は頭を傾けたとしても水平線として認識されます。しかし、デッサン的な見方では画面を90°回転させた時、水平線は水平線ではなく、垂直線に変わります。

これは、日常的な見方では世界をどこまでも続くものと考えるのに対し、デッサン的な見方では世界をスクリーンのように切り取って見ることができるからです。

形が、重なっているか、侵食しているか

人差し指を一本、目の前に出し、それを左右にゆっくり動かしてください。同時に、人差し指の後ろに見える物や壁にも目を向けてください。おそらく、この状況を「動かない背景の前で指が動いている」とあなたは見るでしょう。

これに対するデッサン的な見方はどのようなものでしょうか?

もう一度、人さし指を一本目の前に出し、今度はそれを片目で見ます。そして指にピントを合わせたまま、頭だけを動かします。この時、指の後ろにある背景が視界の中でゆらゆらと頭の動きに伴って動くのが見えると思います。

この人差し指とその背景が平面の上で等しく並んでいると考えたとき、指の後ろにある背景は頭が動くたびに人さし指の外形に侵食され変形していると見ることができます。

さらに、背景の物同士でも、お互いの形を侵食したり、離れたりするのが観察できると思います。

日常的な見方では、物と背景はただ前後にあるだけです。物は物、背景は背景として見ています。これがデッサン的なものの見方になると、物の形が膨らんだり凹んだり、という感覚になります。特に、画面上で形を合わせているときはこの見方が顕著になります。

物の意味

日常では物の形は意味を伴って認識されます。フォークはその形の特徴とともに、食べ物を刺して口に運ぶ物として私たちは見ています。

デッサン的にフォークを見る時はもっと網膜的、分析的になります。フォークの形は輪郭や稜線といった線に囲まれた面であり、その面にぴったり合う色の調子がある、と観察するのです。

距離と奥行き

日常的にはいつでも距離と奥行きの感覚が強くあります。近くと遠くは明快な差があり、地面や壁は奥行きがあり、緩やかにずっと続いていきます。

デッサン的に見る時は、この距離と奥行きの感覚が少し弱まります。

先ほど、人さし指を使って物の形が侵食されていくような見方を紹介しました。この時、私たちは距離や奥行きよりも、輪郭や稜線などの形を平面的に見ることに集中しています。

日常で感じるようなダイナミックな世界の奥行きは、デッサンでは形と調子の変化、遠近法などを使って錯覚で表現します。そのため、「どうすれば遠くに見えるのか?」というルールを知ることが大切です。

参考と脚注

ジェームズ J.ギブソン『視覚ワールドの知覚』新曜社、2011年